班長のてびき

2.班の精神(2)
●班別章

 班の名前が決まったら、次は班のマークを決めなければならない。そしてそれを班旗やユニフォームにつける班別章にしたり、班ルームを飾ったり、班の備品に印としてつけたり、あるいは班の特別なサインとして用いるのである。

 班員たちは、制服の右袖、肩の縫い日から5cm下の位置に班別章の上の縁がくるようにきちんと縫い付けて、その所属班を表わす。

 班別章は、通常は黒色の直径5cmの布製で、その上に班の象徴である動物などのシルエットが赤色で刺繍してある。全国各地にある需品部には、いろいろな種類のデザインの班別章が用意してある。また、特別なものも注文して作ることができる。

 もし君が、非常に特別な班名と象徴を選んだときは、なにも刺練していない班別章のベースだけを購入して、自分たちの手で班別章を作ることもよいと思う。

 これをするには、ステンシル(型板)を切る必要がある。まず班を表わす動物、植物などの絵を手に入れる。それは簡単な影絵の輪郭図で、班別章の黒い縁の内側におさまる大きさでなければならない。

 そのデザインを、薄いボール紙(厚紙)に移して、よく切れるナイフでその輪郭を切り抜く。これでステンシルが出来上がったわけだ。この型板を、先に用意した班別章のベースの上に置く。そして毛の短い固いブラシ(はけ)に、少量の赤ペンキをつけて、型板の切り抜き部分に、ブラシを上下に動かして一様にペンキを塗る。そして塗りあがった班別章をよく乾かした後、制服の袖に縫い付ける。つける場所を間違えないように。正しい位置は、右肩の縫い目の5cm下である。


●班旗

 班そのものを示す旗、それが班旗だ。班がどこへ行くにしてもそれに従うこの旗なしには、ほんとうのスカウトの班を想像することはできない。

 もし君が古い班を引き継いだのだったら、班旗はすでに用意されているだろう。それを用心して扱うようにする。班の多くの伝統はその班旗に結びついている。もし新しい班ができたのなら急いで旗を入手することだ。

 まずひとつの方法として、需品部を通して人手できるものから選んで購入することもできる。しかしいずれは、君自身の班旗を作りたくなるものだ。その時こそ君たちがこぞって、これだと思う旗を思い切って作れるわけである。

 デザインを選ぶためには、班で「美術コンテスト」をやるのもよい。班員を何名ずつかに区分し、各グループに概略のスケッチを描かせる。そのスケッチを皆に公開し、投票でいちばんよいものを決める。そして何でも自分の好きな生地で作ってもらうことである。丈夫で雨にも日にも褪せない色の生地を使うとよい。グリーンはよい。明るいカーキー色もまたよい。

 班旗を作ることは、班全体の仕事であって、ひとりでやる事柄ではない。ひとりの班員に最終のデザインをさせ、もう一人に生地を入手させ、それにデザインを移させ、さらにもう一人に色を塗らせる。ひとりは旗竿にする木を用意させ、誰かほかの者がそれに彫刻し、さらにほかの者が竿の先につけるものを人手する。

 旗が完成しても、班が行くところにはどこにでも班旗がついていかない限り、真の班の旗にならないということを忘れてはならない。日付と地名を旗竿に刻み付けるのは、班が訪れた場所を示すだけでなく、旗自身が「僕もいっしょだったよ!」と言えるためである。そして、君自身が気づかないうちに、班員たちは、本能的に彼らの象徴である班旗がいっしょでないと、何かしら物足りなくなるようになる。

 旗が班の伝統の象徴らしくなってくるにつれてその旗に対してできることがいくつかある。

 もしある班員が、際立った働きをしたら、その班員の頭文字を旗に記入してもよい。違う色のリボンをつけて、班が実行した重要なハイクやキャンプを表わすこともできる。1級スカウトになったメンバーは、旗竿に名前を彫り込む特権を持つ…など、できることは限りなくある。ただひとつ法則があるだけだ。それは、旗や旗竿に何を記入しようと、それが班全体にとって、何かはっきりしたひとつの意義を示すものであるということである。


●班の記号

 班のサインである。これをいろいろなところに使用することも、スカウトたちに班員としての名誉感を与え、班精神の高揚を助けることになる。このサインは2、3の簡単な線で描いた、班のマークである。

 下の図に示した小さなスケッチは、たぶん参考になると思う。君の班のサインもこの中にあるかもしれない。なかったら、少なくともこれらを参考にして、君自身の班記号を作ることができるだろう。

 班記号は、班の備品全部に入れなさい。それから班員たちの私物にもその記号を入れさせ、彼らが班員などに出す手紙や、何かにサインするときにも、自分の名前の次にこの記号を描かせるようにするとよい。追跡記号にこのマークをつけておけば、ほかの班がつけたものと間違えるような心配もなくなる。


●班の呼び声 −班呼−

 スカウトの班は、どの班も独特の呼び声を持っている。もし、君の班が獣か鳥の名前をつけたら、君の班の呼び声“班呼"は、当然のことながら、その獣か鳥の鳴き声である。

 もし、君がほかの種類の班名をつけたら、その動物や鳥の呼び声を選ぶ必要がある。インデイアンは、普通このような種類の呼び声を持ち、多くの探検家もまたそれを用いる。

 たとえば、もし君がふくろう班の班員なら、君はふくろうの鳴き声を本物のようにする。普通の人は、本物のふくろうが鳴いていると思うだろうが、班員たちは、その鳴き声を班呼であると認めて、君のいどころを知ることができるのである。

 誰か獣や鳥の鳴き声のまねの上手な班員に、その鳴き声を班員全部に教えさせる。熊や野牛のうなり声、わしや鷹の鋭い鳴き声、ワニの尾が水をたたく音、きつつきの音、その他何でもよい。

 少年が新しく班に参加したら、できるだけ早く、この班呼を習わせる。

 スカウトは、自分自身の班呼だけを用い、どんな目的のためであっても、ほかの班の呼び声を用いないということは、スカウト運動における鉄則であることを忘れてはならない。


●班の叫び声と歌

 君は、大学のラグビーかフットボールの試合を見たことがあるだろうか。もし見たことがあるなら、万雷のような叫び声を上げて、大学生たちがそのチームの応援をしていたのを覚えていることと思う。

 その声援(エールまたはチァー)が選手たちにどんな影響を与えたかを君は見ただろうか。母校のために最善を尽くして戦おうという気分に駆り立てたのである。

 同じような叫び声が、スカウトの班の場合にもその役目を果たす。よい工−ルはみんなを活気づけ、チームの精神を高揚する。だから君の班のエールを決めて、班員たちが十分に熟練するまで練習する。この“エール”や“チァー”については、後のほうの章で参考になることを述べる。

 班の歌もまた、班の精神を高揚させるのに大いに役立つ。いつかは、班全員が喜んで歌う曲に必ずぶつかるはずである。その曲を君の班の歌にして、班に合うように歌詞だけを書きかえるとよい。班員の中には作詞のできる者もいるかもしれない。もしいなければ、誰かに頼んで作ってもらうことである。君たちの先生や、お父さんやお兄さんたち、あるいは地域の知名人などに頼むのもよい。頼むのを恐れてはならない。頼み方さえ間違わなければ、人々は喜んで協力してくれるに違いない。そして、歌ができたら班員たちに教え、あらゆる機会をとらえて歌うことである。


●ユニフォーム

 世界で1000万以上の少年たちが見慣れた制服を着ている。ことばや習慣は違っても、彼らはお互いに兄弟と考えている。

 この制服は、ほかのすべてのスカウトたろにとって大切であると同じように、君の班の少年たちにとっても大切である。少年たちが班に参加したらできるだけ早く、ボーイスカウトの制服を買うように少年たちに勧めるのも、君の役目だ。

 良いスカウトになるには、スカウトの制服を着ることが絶対的な条件でないことは、みんな知っている。制服を着けても着けなくても、スカウトとして活動し、スカウトの姿を失ってはならない。スカウトの上着を着たり脱いだりするのと同様にスカウト活動の精神を着たり脱いだりすることはできない。

 君たちが平服を着てハイキングに出た場合でも、ちょうどスカウトの制服を着ているのと同じように楽しめるし、いろいろと活動することもできる。しかし、スカウトの制服「ユニフォーム」を着ることは、よりよくみんなを団結させ、よりよいチ−ム作りができるということが、わかることと思う。

 我々が「ユニフォーム」というのは、ユニ(ひとつの)フォーム(形)という意味であり、さらに詳しく言えば「同じ外観」ということである。班に奉加する少年たちが、みんな同じ物を入手できるように、どういうものが君の隊の正式のユニフォームなのか、たとえば上着は長袖か半袖か、帽子はハットなのかベレーなのか、その色は、などをはっきりと少年たちに知らさなければならない。

 少年たちがユニフォームを入手したら、今度はそれを着せることである。班や隊のあらゆる集会、ハイキング、キャンピングなどに、君自身がユニフォームを着る決心をし、班員たちみんなが、正しいユニフォームを正しく着るように注意する。

 君がこれを守るなら、隊の集会で君の班員がユニフォーム姿で整列しているのを見るときの君の誇りは、まことに大きなものだろう。スカウトたちもまた、隊の中で、いちばんきちんとしている班に所属することの誇りを感じ、ユニフォームを正しく着け、手入れするように努力することだろう。


●物事に生命を吹き込む

 正しい班名、きれいな班旗、正しい制服は、それぞれ班精神を築き上げる助けとなる。しかし、何といっても、これらは単なる物に過ぎない。その価値は、君が、その中に吹き込む生命によって決まる。

 班旗は、班ルームの片隅に放り投げておくものであれば、何の意味もない。ユニフォームも、ただ着るだけのためのものであるならば、これまた何の意味もなくなる。このことは、今まで述べてきたあらゆることにあてはまる。生命なしにはそれらのものは意味がない。班旗は、それがあらゆるハイキングに持っていかれるとき、キャンプしている脇に立てられるとき、班が征服した断崖の上から打ち振られるときに意味を持つのである。

 制服は、みんながそれを着ていっしょに何かをやるときに意味を持つ。班のエールは、キャンポリーなどでメンバーを励ますとき、班の歌は20kmハイキングの最初の何kmかをがんばりぬくために歌われるとき、それぞれ意味を持ってくる。

 班員たちは、自分の班を世界一と考え、班の名誉と、その旗の名誉のためにがんばるだろう。君は班長として大きな責任を持っている。君のリーダーシップが班集会やハイキング、キャンピングに生命を吹き込み、君の熱意が班精神を養うことだろう。

「班長のてびき」を読んで

 私は、含まで班精神とは何なのか、まったく知らなかった。もちろんこの言葉を聞いたことはあるが、活用したことはない。指導者として恥ずかしい限りなのでさっそく読んでみると、班精神とは、どうやら班の結束を強めるためのものらしい。

 しかし、どの班にも名前はついているし、班旗や班別章もある。ユニフォームもみんな着ている。ほんとうに、それが班精神を高めるのだろうか? 疑問に思い、もう少し詳しく読んでみた。

 まず、この章のはじめに「だれか他の者にスカウトにならなければならない、と言われてスカウトになったのではなく、自分が選んだ道としてスカウトになっているのだ。」とある。気づかずに読み飛ばしそうになるほどあっさりと述べられているが、実はこれはたいへん重要であって、スカウトひとりひとりが自分の意思でスカウティングをすることが班精神を生み出すための基本的な要素なのである。そのような少年たちが班を構成することによってほんとうの班が成り立つとも言えるだろう。

 ところが残念なことに現在の日本では、スカウティングをやりたくてやっているというスカウトは少ない。まずはこの点の改善が急務であろう。

 そして、班の名称、班別章、班旗、記号、班呼、エ−ル、歌、ユニフォームが班精神を作るものとして挙げられているが、私は、これらが“形だけ”になってしまっているのではないかと思う。スカウトたちはここに述べられているように十分に話し合って、意義のあるものを選んでいるか? そして、それを活用しているか? “適当に”決めるのではなく、時間をかけて、班長を中心に話し合い、力を合わせて実行する、というプロセスを共有することに意味がある。“手間”をかけることが大切なのだ。この点に注意してやってみればきっとうまくいくはずだ。