日本ボーイスカウト茨城県連盟
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資料センター

ボーイスカウト十話」について

 

山田 利雄

 

 

 

 「ボーイスカウト十話」は、故三島通陽(みしまみちはる)総長が、毎日新聞の求めに応じて、昭和40年2月25日から同3月7日にわたって、同紙に連載執筆されたものです。

 総長は、この年の4月20日に昇天されましたので。従って、この「ボーイスカウト十話」は遺稿となったわけですが、内容は日本のボーイスカウト運動を身をもって推進された三島総長の、日本スカウト史の粋とも、あるいはエピソードとも言えるもので、「ボーイスカウト十話」は「ボーイスカウトとは」の意味にひっかけています。古い指導者の方は、あるいは断片的にお話を承った方もおられると思います。一つ一つのお話を読んでまいりますと、お話上手の三島総長の温顔が目に浮かんでくる方もおられると思います。

 どうか、この文章を玩味されて糧とされんことを念願いたします。

 なお、若い読者の方々のために、三島通陽先生のひととなりを知っていただくために、「遺稿集・三島通陽」に渡辺現総長が執筆された“序にかえて”の中から一部を引用させていただきました。

「憶えば先生は、まことに多才な人であった。若くして創作文学に手を染められ、また演劇映画など多方面にわたる芸術活動をされていたことは、三島章道の筆名とともにひろく世に知られているところである。

 他方、長く貴族院議員として、戦後は参議院にも籍を置かれて政界に活躍され、主として青少年教育の発展に力をいたされ、児童憲章、子供の日の制定などに多くの業績を残された。

 しかし、何といっても先生が生涯の仕事として取り組まれ、最後まで熱意を注がれたものは、ボーイスカウト運動であろう。先生は、この運動を純粋な形で最も早くわが国導入された一人であった。大正11年、後藤新平総長を中心とした全国的な組織の少年団日本連盟が結成されると、副理事長に就任され、以来一貫してこの運動のために献身的に力を尽くされたのである。

 戦時中一時、この運動は中断のやむなきに至ったが、戦後とともに熱心な同志の間に再建運動が起こり、先生は再びその中心となって、この運動の発展のため懸命の努力をなされたのであった。

 敗戦によってすべてを失い茫然自失する当時の社会環境の中から、各地の同志を糾合して組織を再建するまでには、内外の関係者の大きな協力などがあったとはいえ、容易なことではなかった。組織の運営に当たっても、当時経済的に弱体なわが国の社会から十分な支援を得ることは難しくしばらくは連続する財政的な危機を乗り切って進まなければならなかった。

 昭和26年、全国総会においては推されて総長に就任された先生は、ますます大きな責任を負って、営々辛苦を続けられ、ついに今日の盛んなスカウト運動の基礎を築かれたのである。このような先生の数々のご功績は、この運動に携わる人々に永く感謝され、深く心に銘記されるものである。」

 

(-遺稿集の“序にかえて”から-)